新・考えるヒント


2004年2月刊  著者:池田 晶子  出版社:講談社  \1,680(税込)  245P


新・考えるヒント


「考えるヒント」といえば小林秀雄です。本書は、その小林秀雄の書名だけでなく、各章のタイトル全てをそのまま使い、おまけに文体まで拝借した「一方的ランデブー」作品です。


著者は言います。「拝借はしましたが、真似ているという感じはなかった。真似るというからには、自他の区別があるものでしょうが、私には、そんな感じはほとんどなかった。私は、あなただ。あなたが見て、あなたが感じ、あなたが考えようとしていることが、私にはわかる。おっしゃる通り、精神は無私だからです」
おまけに「わかるということは、決して説明によってわかるのではない。言葉自体の力によってわかるのだ。だから、読む者にわからせようとして書く必要などないのだということも、あなたから学んだことでした」と言っています。
まるで、「分からないなら読まなくてもいい」と宣言しているようです。


いやはや、大した確信で、これはもう著者のお言葉に共鳴するのかしないのか、読んでみるより他はありません。


私にとって小林秀雄は、「言っていることはなんだかよく分かんないけど、格調高そうな人」でした。学生時代に「考えるヒント」を読み始めてはみたものの、読み進むことができず、悔しい思いが残ったのを覚えています。
別の本(「モオツァルト」)で、彼が精神的な放浪をしていた頃の回想として「突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴った」という告白文を読まされた時には、「へ〜、天の啓示を受けるなんてエライ人だね〜」と、ひねくれた感想を投げつけるしかありませんでした。
後でモーツァルトにはト短調交響曲が2曲(25番と40番)あることを知った時、「彼は、ト短調交響曲が1曲しかない、と思っていたに違いない」と、少し溜飲を下げました。そうです。私にとっての小林秀雄は、イソップの「すっぱいぶどう」だったのです。

「新・考えるヒント」という本があることを知り、本家がダメなら「新…」にチャレンジしてみよう、と手にしてみました。結果的に「新…」は読み通すことができました。
やれやれ……。


読んでみて気づいたのは、「この本は哲学の本だ」ということです。(著者を知る人には常識だったのでしょうが、何せ、この人を知らなかったもので……)
一般人と違い、著者にとっての哲学は、別に小難しいものではありません。著者によると、「哲学するとはすなわち生きることであったからで、生きることは生きるより他どうしようもないこと」であり、「『因果な』とはよく言ったもので、どういうわけか、私にはこれしかできない、する気がない」とのことです。
その哲学する著者の言々句々が、小林秀雄の著作になぞらえて展開されます。
これから読む人にとっては、納得し、共鳴し、腑に落ち、感得するものがある可能性もあるし、逆に、ニベもない著者の傲慢な姿勢が鼻につくだけかもしれません。


読んでみるより他はありません。