何があっても大丈夫


2005年2月刊  著者:櫻井 よしこ  出版社:新潮社  \1,575(税込)  317P


何があっても大丈夫


今年3月に櫻井よしこさんの講演会を聴講する機会がありました。
『今私たちができることは何か』と題した講演では、国際情勢を語った後に、「今、私たちがすべきことは、憲法改正です」と語っていました。ソフトな笑顔でタカ派な発言をする櫻井さんにちょっと気持ちが引いてしまいましたが、自分の生い立ちを書いた新著が出た、というチラシを配っていましたので、読んでみることにしました。


講演会の案内状に書いてあった櫻井さんのプロフィールには「ベトナム生まれ。新潟県立長岡高等学校卒業。ハワイ大学歴史学部卒業」とありました。
ベトナムで生まれハワイ大学を卒業ということは、父は外交官かな? と勝手に予想していましたが、外れです。
著者の両親は当時日本領だった台湾で出会い、父が貿易会社を経営するベトナムで新婚生活を始めたとのこと。敗戦の混乱の中、日本へ引き上げる直前に著者はベトナム野戦病院で生まれました。
無一文で日本に帰った父は商才を生かして全国を飛び回るようになりますが、いつしか水商売の女性と深い仲になり、家に帰らなくなりました。
仕送りも途絶える中、母は父への恨み言を一言も口にせず、「何があっても大丈夫よ。お母さんがあなた方を守るから、安心していらっしゃい」と明るく奮闘してくれました。父の不在は仕事が忙しいから、と信じていた兄が父の許を訪ねた後、高校を欠席し、夜遅くまで街にたむろするようになりました。
母は「モーボサンセン」と宣言し、母の実家である新潟に引越します。立ち直った兄は、後になって「猛母」に感謝したとのこと。(もちろん、正しくは“孟母”三遷です)
著者は新潟で高校を卒業した後、その頃ハワイでレストランを経営していた父の許に行きましたが、父は1年もしないうちにレストランの経営権を奪われて日本に帰りました。ハワイ大学に入学していた著者は、父に逆らってハワイに残り、アルバイトと奨学金で卒業まで頑張ります。経済的に苦しい生活の支えになったのは、母の「大丈夫よ」という励ましでした。


その後、日本で仕事を初めた頃にジャーナリストへの道を開いてくれた恩人、テレビのキャスターになるきっかけを作ってくれた人等、本書には櫻井よしこを育てた人々が登場し、的確なアドバイスの数々が披露されています。
でも、何といっても母の言葉が著者の支えになっているようです。16年続けたキャスターを辞めて言論活動に専念したいと思った時も、「よしこなら大丈夫。必ず出来るから、挑戦して御覧なさい。私たちが応援します」と言ってくれました。


著者が10年と決めた「言論活動に専念」する期間も、あと1年になりました。
社会の不合理を掘り起こし、傷ついた人や病気の人のために論陣を張りたい。情と理に適った社会を築きあげる力になりたい、という次のステージに著者は向かっています。
「何があっても大丈夫」という母の声を背にして。