壊れる日本人


副題:ケータイ・ネット依存症への告別
2005年3月刊  著者:柳田 邦男  出版社:新潮社   \1,470(税込)  221P


壊れる日本人 ケータイ・ネット依存症への告別


著者は航空機事故や医療事故などの原因究明を通して、技術社会の落とし穴を指摘するレポートを発表してきました。
本書では、ケータイやインターネット等の電子的な道具に囲まれている現代人が、便利さの反面、人間として大切な何かを失っているのではないか、と警告しています。


電子的メディアにどっぷり浸かっている一番の例は、ケータイに熱中している若者たちです。
友達が一人もいない孤独な若者に比べれば、いつでも話を聞いてもらえる相談相手がいるのは悪いことではない。と著者は理解を示した後で、「しかし、四六時中、何から何まですぐにケータイで発信し、応答も待つということになると、(中略)自分の悩みは自分で引き受けるという自律心を育てたりすることができなくなってしまうのだ」と弊害を挙げています。


医療現場でも、奇妙な現象が見られます。死を目前にした重症患者の病室には、心拍数、心臓の鼓動の波形、血中酸素濃度などを示すモニターを設置することが多いようです。いよいよ死期が近づくと、病室に詰めている家族の眼は、どうしてもモニターに向けられてしまいます。モニターの波形が平らになり、医師がご臨終ですと言うと、家族はようやく死者のほうに顔を向けます。そこには「患者の枕許で手を握り、顔を見つめて、別れの言葉をかける」という、古来誰もがやってきた大事な別れの儀式が忘れ去られ、データの管理下で孤独な最期を迎えることを強いられる現実があります。
著者が取材中に出合った医者は、電子カルテに表示される検査結果のデータばかりを見ていて、ちっとも患者を見てくれない、と当の患者自身に言われたことがありました。どれどれ、と患者に聴診器を当てたつもりの医師の手には、コンピュータのマウスが握られていた。という笑えないジョークのようなエピソードもありました。


また、子育ての現場では、出産・育児に関する暖かい営みが、家族の中で継承されにくくなっており、夫が仕事中心で家事に参加しないなど、母親のストレスが高まるばかりです。それが伝わって子どものストレスとなり、「愛着」のゆがみが世代を超えて伝達されるという例が珍しくなくなっている、とのこと。
中学生同士が生き残りを賭けて殺し合う映画『バトル・ロワイアル』が、実際に起こった小学生女児による同級生殺害事件に影響を及ぼした、という実例まで出てくると、「壊れる日本人」というタイトルが現実感を持って迫ってきます。


私も通勤電車に乗るたびに、親指をせっせと動かしてメールを書いている人が多いことに違和感を覚えています。聖徳太子が手にしていた笏(しゃく)を連想させる姿は、「ケータイの神様」に拝跪している信者のように見えて、薄気味悪さすら感じます。その気持ち悪さはどこから来るのか分りませんでしたが、本書を読んで、「これは、人間のコミュニケーション能力が壊れていく象徴なのかもしれない」と思い当たりました。


今さら便利な機器を廃棄することはできませんが、「だが、しかし」と考える視点の大切さを教えてくれる一書でした。