部長の大晩年


副題:永田耕衣の満開人生
1998年9月刊  著者:城山 三郎  出版社:朝日新聞社  \1,365(税込)  225P


部長の大晩年―永田耕衣の満開人生


城山三郎はかつて『官僚たちの夏』や『勇者は語らず』のような社会派小説を書き、人物評伝を書くにしても『価格破壊』の中内功や『男子の本懐』の浜口雄幸井上準之助のように歴史に残る人物を描いていました。最近は自分が老境に達したせいでしょうか、『毎日が日曜日』を書いてからの心境の変化でしょうか、リタイヤ後の人生に興味を覚えるようになったようです。


本書の主人公は俳人永田耕衣(本名は軍二)。サラリーマンをしながら俳句の他に芸術全般に親しみ、満55歳で定年を迎えた後は97歳で亡くなるまで趣味一筋の人生を歩んだ人です。
永田耕衣の勤務先は兵庫県加古川にあった三菱製紙高砂工場。若い頃は夜勤仕事をしていた耕衣の疲れを取ろうと、妻ユキヱは子供たちを近寄らせないようにしました。「たまには遊んでやって」とか「一緒にでかけよう」などとも決して口にしない良妻賢母ぶりだったのですが、それが耕衣をひとりだけの世界を楽しむ人間にしてしまいました。
家族サービスという言葉も無い時代のこと。人間らしい人間、本人の造語を使うなら「マルマル人間」として生きたい耕衣は、趣味に没頭します。戦時中に反体制的と目を付けられそうになったこともありましたが、体制側の実力者に詫びを入れ、あくまで市井の趣味人としてサラリーマン生活を全うしました。
最後には「わが人生の意味は充分」と自ら言い切った永田耕衣を評して、著者は「その『清忙』であり、『多望の秋』ともなった生涯を追う中で、私は幾度となく新しい風に吹かれ、元気づけられる気がした」と言っています。
忙しい生活をひと時忘れて、永田耕衣のように「マルマル人間」として生きる道に思いを寄せてはいかがでしょうか。


……と、人に薦めましたが、私自身は主人公の趣味一筋の人生を素直に賛嘆できない気持ちが残りました。
定年後に神戸市須磨区に居を構えた後、永田耕衣には毎日のように来客がありました。タイミングを見てお茶を出すのが妻と嫁の日課になりましたが、永田耕衣が長生きしたため、嫁は旅行にも行けない生活を余儀なくされます。「嫁」とはいっても主人公と同じく年を取ります。一昔前なら隠居する年齢になりますが、それでも永田耕衣の秘書役から開放されません。「孫が生まれても顔を見にいけない」という「嫁」の嘆きを知ってしまうと、主人公が身勝手な存在に思えてきました。
城山三郎の意図とは別に「老・老介護」の問題まで気にしてしまったのは、ちょっと考えすぎでしょうか……。