どくとるマンボウ青春記


1990年6月刊  著者:北 杜夫  出版社:中央公論社文庫  \550(税込)  322P


どくとるマンボウ青春記 (中公文庫)


私の実家は近くの国鉄駅まで12Kmの山奥にありました。駅までバス路線も無く、とても自宅から通えないので、私は高校入学と同時に下宿で一人暮らしをはじめました。
一人暮らしにも慣れたころ、よく部屋に遊びに来るようになった友人に、乏しい仕送りの中から3千円を貸したことがあります。約束の期限になっても返してくれず、とうとう「ゴメン。お金の代わりに好きな本を持って行ってくれ」と彼は言い出しました。
仕方なく、彼の部屋の本棚から何冊かもらい受けた本の中にハードカバーの「どくとるマンボウ青春期」がありました。
もう30年以上前のことです。当時、遠藤周作が『沈黙』のような深刻な文学を書きながらコミカルな狐狸庵シリーズを書いていて、同じように北杜夫マンボウシリーズも軽い読物として人気が出はじめていました。……というような予備知識もなく、借金のカタに手にした本書を私は下宿で読みはじめました。


本書は、コミカルなイラストが載っていて間違いなくマンボウシリーズなのですが、「珍しく沈んだ書きだし」という章からスタートしています。昆虫マニアとして天真爛漫に虫を追いかけてる少年だった著者が、旧制松本高校で寮生活を送るうちに行動が一変してしまい、人生の意味を問うて思いつめる青年になってしまった姿を対比させているのです。
以下、初めに空腹ありき、教師からして変である、小さき疾風怒涛、瘋癲寮の終末、と戦後の食糧難の時代を背景にした著者の青春が語られます。
そこには、ウツボツたるパトスを持って夜を徹して議論する先輩たちがおり、人生について真剣に考える寮友たちの様々な生態がありました。
印象深かったのは、読んだ本のページ数を記録する寮生の話で、彼はページ数の合計がどんどん増えていくのを生きがいにしていました。数字を増やすために活字の大きい本を読む、という方向へ脱線した彼は、とうとう、ページ数では飽き足らずに読んだ本の文字数を数えるようになりました。文字数を数えて記録・合計することに時間を取られ、内容を理解する余力もなくなった彼。
そんな変なヤツがたくさん生息する寮生活というものを知り、なぜか私は「自分も寮に入って青春したい」と決意してしまいました。


苦しい受験生活を送り、やっと手にした大学の合格通知には、学生寮の入寮案内が同封してありました。大学への入学を許可されたことと同じくらい、寮へ入る資格を勝ち得たことはうれしいことでした。築40年以上経過している伝統ある(=ボロい)寮ですが、迷わず入寮したのは言うまでもありません。
私が入ったのは旧制高校的なバンカラの雰囲気がかろうじて残る北大の恵迪(けいてき)寮。5人部屋約60室で構成されるこの寮では、先輩が何度も寮歌を歌って後輩が覚えるという伝統がある一方で、政治的立場が正反対の民青とカクマルが寮生集会で議論し合う、という学生運動の名残も留めていました。
「どくとるマンボウ青春期」を読んでいなければ、寮に入っていなければ、私の青春は全く違ったいろどりになっていたでしょう。本書は、間違いなく私の人生を変えた1冊です。


嵐のような青春を送った後、北杜夫は父(斉藤茂吉)と同じく医者になり、文学への道を歩みはじめました。自分が何者かを確かめる期間を「青春」とすれば、本書はまぎれもなく、青春を描いた一級のエッセイです。