我、拗ね者として生涯を閉ず


2005年2月刊  著者:本田 靖春  出版社:講談社  \2,625(税込)  582P


我、拗ね者として生涯を閉ず


著者の本田靖春氏は、元読売新聞社会部記者でした。
本書は、「社会部が社会部であった時代」の輝きを再現し、見るに堪えないジャーナリズムの現状、日本の社会状況に警鐘を鳴らす遺言です。
本田氏は、糖尿病による両足切断、失明の危機、肝臓癌などの大病と闘うなか、月刊現代にこの連載を続け、最終回を残して帰らぬ人となりました。71歳でした。


読売新聞入社早々に社会部のエースとなった著者は、数々の名文を世に放ちました。中でも社会的影響も大きく、著者が「私はいま臆面もなく自慢話をしている」と評価しているのが「黄色い血追放キャンペーン」です。
このキャンペーンを開始した昭和39年当時、日本の輸血用血液は99.5%が売血でまかなわれていました。血液の主な供給源は、生活のために血を売る日雇い労働者たち。頻繁に採血を続けることによって骨髄の中で行なわれる赤血球の製造が追いつかなくなります。赤みを失って黄色っぽくなった血液のことを、日赤中央血液センターの村上省三医博は「黄色い血」と命名しました。
単に赤血球の濃度が薄くなるだけでなく、この血液を輸血した患者は20%以上の確率で悪質の血清肝炎にかかります。こんな危険な状態を放置しておけない、と若き日の著者が社会正義に燃えて立ち上がりました。後に「献血の鬼」と呼ばれる村上医博や熱心に献血運動を進める学生と共同戦線を張り、何も改革しようとしない厚生官僚やリベート漬けの医療関係者を相手にキャンペーン記事を書き続けます。
当時の厚生官僚は、「宗教心のない日本人に献血は不可能」と言いました。しかし、キャンペーン開始2年足らずで約50%の血液供給をするまでに達し、とうとう昭和44年に保存血液の売血は完全に消滅しました。


著者が敢えて自慢話を書いたのは、「善意と無限の可能性を信じる集団」だった「社会部が社会部であった時代」のことを知ってもらいたいからです。
読売新聞社会部は、その頃から社会部らしくない兆候が現れはじめます。社主の正力松太郎氏が新聞事業に関係ない公営ギャンブルやゴルフ場・読売ランドに力を入れる様子を、何の抵抗もなく社会面に載せるようになりました。
「社内に言論の自由がなくて、どうして日本の言論の自由を守れるか!」と、同僚に呼びかけたりもしましたが、反応がありません。熟慮の末、著者は抗議の意を込めて会社を辞めました。せめて会社の風土に一石を投じたはずだったのですが、その後、渡辺恒雄(ナベツネ)氏が編集局長になり、編集権・人事権を掌握してからは、もっとひどい状況になったそうです。


会社を辞め、フリーのジャーナリストになってからも、著者は、主張の異なる文藝春秋と距離を開け、テレビ界の粗雑な番組作りに愛想をつかして出演しなくなるなど、長いものに巻かれない姿勢を貫きます。経済的に苦しい日々でしたが、自称「由緒正しい貧乏人」を続け、「誘拐」「不当逮捕」などの作品を残しました。


最後まで社会部記者の矜持を保っていた著者。その誇りあるジャーナリストを「拗ね者」と自嘲させてしまうような現代社会の風潮とは何なのか。自分自身が、その浅薄な風潮に流されていないだろうか。
考えさせられる一書でした。


内容紹介はこのくらいにして、私がこの本を手に取ったきっかけと感想を書かせていただきます。


著者はノンフィクションライターの草分けの一人ですが、立花隆や柳田邦男に比べると、あまり名を知られていません。私自身も『ちょっとだけ社会面に窓をあけませんか』を読んだ記憶がある程度で、縁がありませんでした。
この「我、拗ね者として生涯を閉ず」という、すさまじいタイトルを目にしたのは、筑紫哲也が書いた追悼記事でした。(朝日新聞 1月17日夕刊)
筑紫氏は「4年余、病床で石に文字を刻むようにこの連載を書き続け」と紹介していますが、実際に読んでみて著者の凄みを感じたのは、600ページ近いこの大著の中に1箇所も病気の苦しさが書かれていないことです。
入院・手術のため連載を休んだ後に若干病状に触れたりしますが、「闘病記はきらい」という著者は、病の日々を書くことよりも、言い残したいことを少しでも書き進めることを選びます。


著者の文章力の凄さにも舌を巻きました。
本書の前半で、読売新聞に入社するまでの著者の生い立ちを紹介しています。少年時代の思い出話というのは、書き方によっては老人の繰言になってしまいがちなのですが、本書は違いました。生い立ち部分だけでも立派に一冊の本になるほど読み応えがありました。
もちろん、朝鮮半島からの引き上げ者として苦労している体験自体の力もありますが、それ以上に、読者を飽きさせない著者の文章力が際立っているのを感じます。


一つだけ物足りなかったのは、プライベートなこと、特に奥さんのことをほとんど書いていないことです。
両親や兄弟については、生い立ちの中である程度記述しています。また、新聞社退社とほぼ同時に離婚した前妻については、結婚と離婚の経緯を少しだけ書いています。
しかし、最後まで付き添ってくれた妻のことは、「前妻と離婚して二人の子どもを育てられないので結婚した」というニュアンスで言及しているだけです。
著者はフリーになってからは、決して経済的に恵まれた生活を送っていなかったようです。「持ち家を持たない」というのは著者の男の美学でもありました。それでも長年にわたり前妻との間にできた子どもを育て、病気療養を支えてくれた妻とはどんな人物なのか。読者としては知りたいところです。
でも、これは「無いものねだり」と諦めましょう。残された時間を惜しんで、闘病の様子やプライベートなことを省略したのですから。それに、妻への感謝は連載の最終回に書く予定だったのかもしれませんし……。