そして、海老蔵


2005年3月刊  著者:村松 友視  出版社:世界文化社  価格:\2,500(税込)  307P


そして、海老蔵


歌舞伎界の宗家ともいえる市川団十郎家の後継者として、第12代市川団十郎の長男の新之助が11代目市川海老蔵襲名しました。(ご存知の方も多いと思いますが、市川新之助というのは、伊藤園の「おーいお茶」のコマーシャルに出ていた若者です)
本書は、平成16年5月の襲名披露公演をはさんで、前年の大晦日成田山における護摩焚きや、歌舞伎座、松竹座をはじめとする海老蔵の出演する舞台を追った1年間の記録です。海外公演を追いかけてパリまで行ったり、表舞台を支える職人へインタビューしたり、著者の精力的な取材を通じて明かされるエピソードの数々が、単なる観劇評の域を超えて、歌舞伎の魅力をじんわりと伝えています。


歌舞伎の魅力とは、まず舞台上で演じられる内容そのものです。江戸時代に第7代市川団十郎家が定めた歌舞伎十八番に含まれる「暫(しばらく)」「助六」のように伝統ある演目や、瀬戸内寂聴作「源氏物語」のような新しい作品について、舞台で披露される海老蔵の演技の魅力を著者は伝えます。
特に「口上」とは、単なる舞台挨拶ではなく、芸事そのものです。「吉例にならい、ひとつ睨(にら)んでご覧にいれまする」と言ってから海老蔵が「睨み」を演じる場面は、観客に11代目が誕生した感慨を伝えるもので、パリのシャイヨー劇場でもブラボーの嵐になりました。


もう一つの歌舞伎の魅力とは、先人が積み重ねてきた伝統の重みに後継者がどのように応えて何を加えるか、という繰り返しの妙を鑑賞することです。野球に譬えると、今年から野球ファンになった人と、長嶋茂雄の現役時代から球場に足を運び、歴代のエースとバッターとの名勝負が記憶に刻まれている人とでは、野球の楽しみ方が違うようなものでしょう。
初代団十郎から現第12代団十郎まで、代々の団十郎が伝統を積み重ねてきました。中には奢侈禁令の見せしめとして江戸から追放された第7代団十郎のように苦難の時代を生きた先人もいます。
歌舞伎の人気が落ちていた昭和30年代に襲名披露公演を行なって人気を回復したのが現第12代団十郎の父である第11代。しかし、わずか3年で亡くなったため、現第12代は父・師匠・後ろだてを一気に失い苦労します。今回の海老蔵襲名披露公演がスタートして間もなく、その第12代団十郎白血病で入院してしまいます。新海老蔵は、若くして父を失うかもしれないという運命の繰り返しにどう対応するのか、等々。歴史を知れば知るほど、歌舞伎を見る楽しみが増えていきます。


本書を読みながら、第12代団十郎の襲名披露公演を観劇したことを思い出していました。歌舞伎の知識がほとんど無いのに見に行ったのは1985年。もう20年前のことです。現海老蔵は、当時まだ小さな男の子でしたが、新之助として舞台に上がっていました。


また実際に舞台を見る前に、沢木耕太郎著「若き実力者たち」を読んでいたことも思い出しました。
沢木耕太郎が25歳で書いた本書は、当時の若き実力者12人にインタビューした人物記です。唐十郎河野洋平畑正憲山田洋次などの若い写真を見ていると、もう35年以上前の本であることを実感しますが、この中に、第10代目市川海老蔵を襲名したばかりの現団十郎が登場します。
村松友視が描いた海老蔵の襲名披露。その父が海老蔵だった頃を沢木耕太郎がどう描いたか、という興味で再読してみました。村松友視は月間『家庭画報』に12回連載し、沢木耕太郎は月間『エコノミスト』に12回連載した、という類似点も感慨深く感じてきます。
海老蔵」についてのたった2冊の本でも、様々に思いをめぐらせることができました。他の本も読んでいる方は、もっと楽しみも大きいのでしょう。


輪廻の繰り返しにも似た伝統芸能の世界に、ひと時迷い込んではいかがでしょうか。