キャッシュカードがあぶない


2004年12月刊  著者:柳田 邦男  出版社:文芸春秋  価格:\1,000(税込)  203P


キャッシュカードがあぶない


カード犯罪が増えているにも関わらず、銀行も警察も対策を打たずに放置してきた現状を告発する、読み応えのある「取材報告」です。

著者がこの問題に著者が取り組むきっかけになったのは、出版社を退職した友人が偽造キャッシュカードで銀行口座から3000万円余りの預金を取られた事件がきっかけです。友人は奥さんが入退院を繰り返す中で退職金を定期預金や投資信託にする余裕もなく、普通預金にしたままだったのです。気がついた時には老後の蓄えをすっかり奪われていました。しかも、奥さんは余命2ヶ月との宣告。「今年は天中殺だろうか」と友人は嘆きます。
この友人の他全部で13件の被害者事例が本書に登場しますが、共通しているのは、銀行は何も補償してくれないこと。また、警察は「あなたはカード(またはカードの磁気情報)を盗まれただけだから、お金の被害届けは出せない」と形式的なことを言って取り合ってくれません。被害届けは「実際に現金支払機からお金を引き出された銀行支店が出すべき」だから、銀行に被害届けを出すように言ってくれ、と言います。ところが銀行は、どこの支店で引き出されたかという情報を提示するのも及び腰で、そうこうしている間に、現金支払機を撮影していたビデオは一ヶ月の保存期間を過ぎて消されてしまう。たとえ犯人が映っていても、鮮明ではないので証拠能力がない。
銀行と警察をたらい回しされる間に「あなたの家族が犯人ではありませんか」などと心無いことばを浴びせられ、被害者は心の傷まで負ってしまいます。

怠慢に憤りながらも、著者は警察に対しては「捜査をさぼり、温温としているのは、まさに悪しき官僚主義と言うべきだろう」と言うに止めています。
しかし、銀行の対応の悪さについては、徹底的に攻撃して止まるところを知りません。
預金者には「自己責任」といいながら、バブル期の資金運用の失敗という巨大な「自己責任」を国からの公的資金の導入によってカバーする銀行。
欧米諸国がカード犯罪に1980年代から取り組んでいるのに、日本では1988年に銀行業界が「猛烈な反対」で立法化の検討をつぶしてしまいました。以来、被害の実態を隠し、15年以上何も対策を取らずに過ごしてしまったことを著者は告発しています。
一方、犯罪者側の技術の進歩は目覚しく、磁気情報だけを盗む「スキミング」が簡単にできるようになり、暗証番号を押しているところを小型カメラで撮影することもできます。とうとう、銀行支店と計算機センターの通信を盗聴できるようになったそうで、もう「カードと暗証番号によるセキュリティ」は崩壊しているといってもいいでしょう。

著者は、今まで様々な事故と安全対策の歴史を見てきた経験から断言します。「企業は経営が財政的に厳しくなってくると、失敗の隠蔽や欠陥商品の改修の後まわしなどを密かに行い、安全対策を安上がりで済ませようとする傾向が強くなる」。
カード犯罪に対する銀行の姿勢も「被害者を抑えることによって、セキュリティ対策に投資するのを、できるだけ先延ばしにした」「最近では、三菱自動車三菱ふそうの大型車欠陥隠蔽事件が、まさにそうだった」と。

バブルの頃は相手に不要な貸付を増やし、バブルが弾けると貸し渋りをする銀行は、かつて「雨が降ると傘を取り上げる」と非難されました。相変わらず預金者をないがしろにする銀行の姿勢を告発する本書を読んでいると、「そうだ、そうだ!」と言いたくなる箇所がたくさんあります。被害者の窮状が胸に迫り、安全社会構築の本質に迫る著者の分析に感動さえ覚えました。
この取材報告の第一報を『文藝春秋』04年8月号に掲載してから半年あまりで、銀行は次々に対策を発表し、被害補償についても前向きな発言をするようになりました。
本書はカード社会の安全性を再構築するきっかけとなったレポートとして「古典」や「伝説」になるかもしれません。


本書から離れますが、著者の息子は25歳で自ら命を絶ち、脳死状態になりました。父として臓器提供を決意するまでの11日間の動揺・苦しみを、著者は手記『犠牲(サクリファイス)』で発表します。また、息子を失うという大きな悲しみだけでなく、もう長いこと家庭が崩壊していることも告白しました。
1995年のことです。
その後の著作は“いのち”や“こころ”に関する重いテーマが多くなり、私にとっては気軽に手にとれない作家になりました。
10年ぶりに柳田邦男を読んでみようと思ったのは、本書が「失敗事例の深堀を通じて社会的安全を実現する」という、彼のジャーナリスト手法がよみがえったと感じたからでした。
来年で70歳になる著者に家庭的な幸福が戻ってきたかどうかは分りませんが、少なくとも仕事の面では完全にふっきれたようです。本書の発刊後も『阪神・淡路大震災10年―新しい市民社会のために』『壊れる日本人 ケータイ・ネット依存症への告別』など、往年の柳田邦男が戻ってきました。
ふっきれるきっかけは何だったのでしょうか。2002年9月に河合隼雄との共著『心の深みへ―「うつ社会」脱出のために』を発表しています。勝手に推測すると、このへんに自身の心情を書いてあるのかもしれません。
10年前に『犠牲(サクリファイス)』を読んだ時には、どう受け止めてよいかわからず、あまりの悲劇に息を呑むだけでした。著者の悲しみと向かい合う心構えができたら、復活するまでの一連の著作も手にとってみようと思います。