出口汪の頭がよくなるスーパー読書術


副題:論理力、考える力、発想力が誰でも身につく!
2005年2月刊  著者:出口 汪  出版社:青春出版社  価格:\1,365(税込)  217P


出口汪の頭がよくなるスーパー読書術


書名からは、安直なノウハウ本のような印象を受けます。「本を読むときのメモの取り方とか、何かヒントになることが書いてあればいいなぁ」、という程度の期待しか持たず、気に入ったところだけ読み飛ばすつもりで手に取りました。
ところが、予想に反して単なるノウハウ本ではありませんでした。「充実した人生を送るために、正しい読書方法を身に着けよ」と主張し、読者を導こうとする一種の「啓蒙本」でした。
著者は言います。
   人の生き方は二通りしかないのではないか。
   本を読む人生と、読まない人生と。
   (本を読まない人はくだらない人生を送り、)社会において指導的な
  役割を果たすこともないだろう。
とバッサリ。
いやぁ、押し付けがましいこと。
私の知っている読書家は謙虚な人ばかりで、「たくさん本を読んだ人のいいところは、本があれば時間をつぶせるということだけである」という意味のことを言う人(養老猛?)もいました。著者のように読書の効用をこんなに強調する人は初めてです。


著者が読書にこだわるのには、理由があります。著者は三浪の末に医学部をあきらめて文学部に入ったとき、「もうまともな人生は送れそうにない」と希望を失っていました。そんな著者が本を読むことによって、別人のごとく変身した、という経験が本書のベースになっています。
本書で語られる著者の読書の遍歴と青春の遍歴は、けっこう凄まじいです。
思いつめていた著者の姿を端的に示しているのが、卒論で取り上げる作家を決める場面です。太宰、川端、芥川の三人を候補に挙げたところ、担当教授に反対されます。不満げな著者に向かって、教授は言いました。「三人とも自殺した作家だよ。君がこの三人の名前を無意識に口にしたということは、何かに取り憑かれている証拠だ。このままでは君はきっと自殺する。それでもいいかね?」


もちろん、重たい部分ばかりではなく、「本を読んでもすぐに忘れてしまう。うまく記憶に残る読書法はないか」とか「本を読むのが遅いのです。これでは情報化時代に取り残されてしまいそうで……」等、本についてのお悩みあれこれにていねいに答えている本でもあります。著者の読書経験に基づいた分析は勉強になります。
特に、森鴎外の『舞姫』の解説には舌を巻きました。
女子高生に感想を書かせてみると、圧倒的に多いのは「エリスを棄てた豊太郎は女の敵である」という内容です。他に「いやいやエリスこそ女の恥だ」「豊太郎を連れ戻しにきた相沢がクールでいい」など、現在の高校生から見た好き嫌いの感想ばかり。生徒たちの視点で欠けているのは、この作品の時代背景を読み解くということである、と著者は指摘します。「鴎外は異国の地で初めて自我に目覚める一人の日本人を描き、それと同時にそれを決して許さない、時代そのものを描いた。こうした作品世界を正確に把握することなしに、自分の好みを感想に書いても、結局は物語の登場人物に引っかけて自分を語っているに過ぎない。結局は誤読にほかならない」と手厳しい。


著者の最初の読書経験は、小学館の「少年少女世界名作文学全集」でした。この全集を読破して、「これで世界の有名な文学をすべて読んでしまった」と、一種の虚脱状態になったそうです。
私も学校の図書館から小学館の「少年少女世界の名作文学」を借りてきて、毎晩寝る前に読みふけったことを思い出します。著者が読んだものとシリーズは違いますが、同じように世界文学を子供向けに書き直したものでした。
著者は「この文学全集に漏れた小説など、大したものではない」として高校卒業まで本を読まなくなりましたが、幸い私は、「自分で文庫本を買って読む」という分野に分け入り、読書を続けることができました。
それでも、「少年少女……」で読んだ、という影響は大きく、「レ・ミゼラブル」や「ジャン・クリストフ」は大学生になってから原作を読みましたが、「ジャングルブック」「失われた世界」「クリスマスキャロル」「ガルガンチュア物語」「オデュッセイ」等はもう読むことはありませんでした。少年少女版で「読んだつもり」になったのが原因の一つとすれば、もったいないことです。
自分の子どもには、「おとなの読物を子供向けにアレンジしたもの」は近づけないように気をつけることにしようと思います。


書名は安直なノウハウ本のようですが、全く逆サイドにある書物でした。本書を読むときは、こちらも気合を入れて四つに組むことをお薦めします。