テレビの嘘を見破る


2004年10月刊  著者:今野 勉  出版社:新潮新書  価格:\735(税込)  222P


テレビの嘘を見破る (新潮新書)


著者はTBSで「遠くへ行きたい」など多数のドキュメンタリーを手がけ、今はテレビマンユニオンの取締役副会長という立場で番組制作にたずさわっています。本書には、ドキュメンタリーを制作してきた自身の経験をもとに、制作者の常識が視聴者の常識といかにかけ離れているかを明かしています。また、今後どうしていけばよいのかを読者と一緒に探ろうとしています。


映像のトリックの例として、著者はある生命保険会社のCMを冒頭に紹介します。
水辺で遊んでいた親子象の足元の土が崩れて、小象は水中へ転落。あっと驚いた瞬間、母象が長い鼻をのばして小象を岸へ引張りあげる。そして何事もなかったように二頭並んで去っていく、というCMを知っている人も多いと思います。
ところが、水に落ちるシーンはカメラが偶然とらえたものの、引っ張り上げる場面は別の象が調教師の指示に従って「演技」したものです。しかも、このような楽屋話が新聞のコラムで公表されています。(朝日新聞'03.11.25「はてなTV」)
この象ような「演技」を放送することは視聴者にウソをついていることになるのでしょうか。このケースが許されるなら、次のケースはどうでしょうか……、と、だんだん演出手法があざとくなっていく例を著者は挙げていきます。
インタビューに出向く時の録画カメラは一台しかないので、インタビュアーの映像は後で撮影して合成する。奥地に向かうドキュメンタリーなどでは、帰り道で険しい自然の中を走るバスの撮影を行い、放送する時には現地に向かうときに撮影したように編集する、というのは制作現場の常識だそうです。
とうとう、再現シーンの撮影のために生命を犠牲にした例も示されました。太平洋戦争中に作成された戦争ニュース映画のなかに、中国兵が日本軍に撃ち倒される迫力ある場面がありました。実はこのシーンは、捕虜の中国兵の生命を犠牲にした再現シーンだというのです。


映像というものが種々の演出を経て作られる、ということを視聴者が理解し、作り手の行き過ぎを牽制することによってドキュメンタリーを育てていくのが理想である、と著者は言います。
そうは言っても、感動を与えたり受けたりするためには、少々の悪事、不正に目をつぶるという作り手がいるのも事実です。感動や面白さのためにだまされたふりをする視聴者も共犯ではないか、と著者は反省をうながします。
著者自身が迷いながら、手さぐりしながら作品を作っていることがうかがえる一書でした。


さて、メディアの手法を考えるとき、私自身が経験した許せないウソがあります。
もう40年以上も前のことです。
当時、私は北海道の山村に住んでいました。私が小学校に入学した1964年は、記録的な冷夏の年で、北海道全域が深刻な冷害に見舞われます。農作物の収穫はゼロに近く、私の地元にもテレビ局が農家への影響を取材にやってきました。取材を受けるのはもちろん初めてですから、親も学校も協力しました。どんなふうに紹介されるのか楽しみにしていましたが、数日後の放送を見たとき、テレビは信用できないことを知ります。
放送では学校の休み時間に走り回る子どもたちの姿が紹介され、そのうちの一人の足元がアップになります。その子は靴下をはいていませんでした。こんな寒さの中、困窮した農民は子どもの靴下も買うことができない、と映像が語っていました。
また、外で遊んでいる子どもが写りましたが、彼は雪だるまを作りながら手に息をふきかけています。こんなに冷たいのに手袋も買えないのだ、と言わんばかり。
放送された映像はウソでした。
遊んでいるうちにたまたま靴下を濡らしてしまった子が、脱いで乾かしていただけです。外で撮影しよう、と急に外に呼びだされた子が、「そのまま雪だるまを作ってください」といわれた通りにしただけなのです。
ふたりの母親は、放送を見て激怒しました。子どもに手袋や靴下を買ってやれないような貧乏はしていない。くやしい、と。その怒りの激しさは、小学校一年生の私にも分かりました。
取材班は冷害の深刻な影響を映像に収めたかったのでしょう。そのために、取材に協力してくれた人のプライドを踏みにじることを何とも思わなかったのでしょうか。
40年過ぎた今でも、私は許すことができません。