「赤毛のアン」の秘密


2004年3月刊  著者:小倉 千加子  出版社:岩波書店  価格:\2,100(税込)  282P


「赤毛のアン」の秘密


若者が本を読まなくなった、と言われるなかで『赤毛のアン』は少年・少女向けの読み物として根強い人気を保っているそうです。『「赤毛のアン」の秘密』というタイトルから想像したのは、「熱烈なファンが書いた本で、アンの魅力を探るエピソードがちりばめられている」ということでした。でも、読み始めてすぐに、どうも明るい話題の本ではないらしいことが分かってきます。
本書の序章で、著者は物語の舞台であるカナダを訪ねますが、アンの故郷は荒涼とした印象に映りました。青年ガイドがアンの作者モンゴメリの最期の様子を「彼女の自殺には……」と語ったとき、「彼女の自殺? モンゴメリは自殺だったんですか」と著者は驚くのですが、このあたりから本書の主題が明らかになってきました。
そうなんです。これは「アンってロマンチックな物語ね」とか「アン大好き!」という本ではなく、アンの作者モンゴメリの生き方をたどりながら、女性の結婚観・仕事観・幸福観の抑圧について論じている、とても深刻な話題を扱った本なのです。
著者の小倉さんは、あの上野千鶴子さんとの共著も持つフェミニズム研究者である、ということを事前に知っていれば、少しは内容を想像できたかもしれません。いやいや、本の帯に「『幸福な結婚』は不幸である」なんて書いてあるのですから、もっと早く気づくべきでした。


本の内容に戻りますが、著者の調査によると、日本のアンシリーズ本の解説や年譜では"モンゴメリの死が自殺によるものである"ということは明示されていないそうです。モンゴメリの生涯についても、作家として母として妻として幸福な生涯を送った、という印象を与えるものが多いようですが、本書で紹介されるモンゴメリの生涯は苦悩に満ちたものでした。
少女時代のモンゴメリには、将来の幸福が二通り見えていました。
一つは、作家として人々の記憶に残る作品を書くことです。バイロンテニスンのような天才として認められることを憧れていました。
もう一つの幸福は、自分の教養と釣り合うだけの知性と職業を持った男性と結婚し、彼に尽くし、多くの子どもを生み育てる家庭を作る幸福です。彼女が描いたアンシリーズは、この幸福感に沿ってアンが成長し、結婚・出産し、最後に「なんという大家族だろう?」と勝ち誇った調子の独白を繰り返すところで終わっています。
しかし、実際のモンゴメリの生涯は、二つの幸福を追い求めながらも、両者に引き裂かれてしまいました。青春時代に強く惹かれた男性もいたのですが、肉体派だった彼の知性が自分と釣り合わない、という理由で恋愛を断念します。情熱に身をまかせることのできない彼女は、孤独に耐えて神の啓示を聞く、という作家としての覚悟が定まりません。
『アン』を書くことによって一応の人気作家になり、結婚して家庭を持ったものの、モンゴメリには文学的天才という満足感は得られません。<天才>を目指せば、<女>としての幸福が得られず、<女>として生きるには<天才>への憧れが断ち切れない。それでもなおかつ彼女は、<女>の<天才>になろうと愚直な努力を続けました。それは、夫に尽くし、牧師夫人としての務めを完璧に果たし、子どもを育て、その合間に「雷鳴のような神々の声」を聞こうとすることです。
とうとう、『アンをめぐる人々』の原稿を出版社に渡した直後に、モンゴメリは自殺してしまいました。社会規範にしばられながら作家としての夢を目指すことに疲れたのでしょうか。


個人的なことですが、私にとってアンシリーズは、「はじめて自分で買った文庫本」で、学校の図書館以外の本を読む、という読書の喜びを教えてくれた本です。『赤毛のアン』しか読んでいない人も多いと思いますが、私は「アンの青春」「アンの婚約」「アンの愛の手紙」……と、アンが成長して社会人になり結婚していく様子を、初めて大河ドラマを読むようにして惑溺していきました。(念のためお断りしておきますが、私は男性です)
今でも『赤毛のアン』と聞くと、「はじめて自分で買ったレコード」と同様に、特別なノスタルジアを伴って思いだされます。


そのアンの作者がこんなに苦悩に満ちた人生を歩んでいた、ということを知り、大きなショックを受けました。フェミニズムというのは、女性の置かれた厳しい現実の姿を目の前に突きつけるものなのですね。
最近、お札になった樋口一葉が文学の師と実らぬ恋をしていた、というテレビドラマもありました。
女性の置かれた立場について、もう少し考えてみよう、と思わせる本でした。