反音楽史

反音楽史

副題:さらば、ベートーヴェン

2004年2月刊  著者:石井 宏  出版社:新潮社  価格:\1,995(税込)

本書は、クラシックを権威的に崇拝するのはドイツ評論家の陰謀だ、と説く痛快な本である。
18世紀の音楽の中心はイタリアであり、あのモーツァルトも音楽後進国の作曲家としてハクを付けるため、名前をイタリア風に変えた。バッハは無名のまま生涯を終えた。当時はヘンデルハイドンの方が有名だったし、莫大な報酬も手にしていた。などという初めて聞く話が満載である。
映画「アマデウス」では、モーツァルトの才能に嫉妬したサリエリが彼を殺したことになっているが、本書を読むと、音楽先進国のイタリア人でありベートーベンに作曲法も教えたサリエリがそんなことをするはずがない、という気持ちになる。
作曲家中心の権威的な音楽史観のおかげで、譜面と違う音は一音も出してはならないというクラシック音楽の伝統が出来あがり、やがて衰退の一途を辿った。もっと演奏者が自由にふるまい、聴衆が楽しめる音楽を復活させるべき、と著者は指摘する。


クラシック音楽を聞く人に“なんだかインテリっぽい”という雰囲気を感じ、自分も教養あふれる人間の仲間入りがしたい、という漠然とした憧れでクラシックを聞き始めた人は多いと思う。
私も「憧れ派」の一人だが、いやはやクラシックファンの先達というのはスゴイ人が多いのに驚く。高校時代に友人を訪ねた時、16歳で既にクラシックレコードを300枚も持っていた。会社の先輩には「フルトヴェングラーの現存する録音を全て集めるのが趣味」という人がいたし、「同じ曲でも指揮者や録音時期が違うと別物だ」と言ってマーラーの4番だけで20枚以上もLPレコードを集める人もいるそうだ。フルトヴェングラーの「音と言葉」を手に取ってみるが、「運命」の第一楽章がいかに素晴らしいかを延々と述べている冒頭部分で、もう挫折してしまう。新聞で吉田秀和のクラシック評論を読んでみるが、何を言っているのかよく分からない。私から見ればスゴイ人たちは「マニア」の域に入っていて、とてもじゃないが同じ土俵で話ができない。知らずしらずのうちにクラシック音楽に畏敬の念を抱くようになった。
そんな私も、この本のおかげで、もう少し気軽に音楽を楽しめるようになるかもしれない。