ふるさとの景色(4)

pyon32004-09-09


 私の母校は廃校になってもう25年になります。建物もなくなり、今はこの木標だけが残っています。(私は中学校の最後の卒業生です)


    ↓ 木標の文章です。

美園小・中学校跡


 美園地区の開拓は、昭和21年、17世帯によって始まりました。
 当時の訓子府国民学校までは、十数Kmも離れているため、開拓者の共同住まい小屋を使用し、児童12・3名で美園分教場として授業が開始されました。
 昭和21年秋、陳情運動が実って校舎建築事業が着工、地域の住民の労力奉仕もあり、翌春完成。11月には待望の訓子府小学校美園分校が開校しました。
 第47代横綱大鵬も小学校2年生の時在籍していました。
 昭和24年11月、小学校に昇格。同時に訓子府中学校美園分校も併置し、小学生21名、中学生9名を数えました。
 その後、校舎の改修・増築がなされ昭和30年9月1日付で中学校が独立。美園小中学校となりました。
 昭和36年には、全校舎の改築が工費126万円でなされました。しかし、厳しい地理的条件等により離農が相次ぎ、児童生徒数も減少したため、中学校は48年3月、小学校は昭和50年3月をもって閉校し、訓子府中学校、訓子府小学校にそれぞれ統合されました。

            平成6年10月
            訓子府町教育委員会