2003年9月刊 著者:沢木 耕太郎 出版社:幻冬舎 価格:\1,575(税込)
死にゆく父を看護する日々の中で、父の人生、父と自分の関係を自らに問う作品。
ノンフィクション作家である著者は、今まで取材相手の人生について肉親以上の根気よさで聞いてきたが、身内である父の話をまったく聞いていないことに罪悪感のようなものを覚えていた。仕事が比較的に楽になってきた頃、天の配剤のように父の看病の日々がはじまる。
病状が悪化するなか、少しでも父が生きる気力を強くしてくれるように、父の俳句を本にまとめることを提案する。そして父の作品を読み返す中で、今まで知らなかった父の一面に驚かされもする。
無名の庶民として生きた父は金銭的にも恵まれず、子供たちは経済面で苦労したが、決して父のせいにはしていない。しかし話がそのことに及ぶと、父は「何も……できなかった」と言った。子供たちがどう思ってくれようと、父としての思いはまた別のものだっただろう、と返す言葉もなく、ただ顔をみつづける著者。
若き日に父と衝突すること、そして父を乗り越えることは男として通過しなければならない成長の過程だと言われる。父の死を目前にして、著者は父が自分の反抗の対象でなくなった頃を思い出し、あらためて父の人生に思いを致す。
沢木耕太郎が書いた文章には、どの作品にも哀しげな通奏低音がゆっくりと奏でられているように感じる。そんな著者の語り口が、いつもの静かな調子と違って突然悲痛に叫ぶ口調になる場面があった。「父の話を聞いてどうしようというのか……。」「父が、死ぬ。私はうろたえた。父が死ぬということにうろたえたのではなかった。父が死ぬということのあまりの実感のなさにうろたえたのだ」
「死」に向き合うのだからメデタイ内容ではない。が、本書から伝わってくるのは、最後の日々を父と向かい合うことができた著者の充足感だ。「ただ死を死として受け入れてくれる家族がいれば、それでよかった」と。